うめこのバンコクつれづれ草

バンコクに暮らしていた主婦。座右の銘は「面白きこともなき世を面白く」

さくらももこ、岡田あーみん、そしてこのブログに

こんばんは!うめこです。

今宵はバンコクと関係ない話になります。

 

先日「ちびまる子ちゃん」の原作者さくらももこ先生がお亡くなりになりました。

 

「ちびまる子ちゃん」と私の出会いは、今から約30年前。小学校低学年のうめこが集英社の少女マンガ雑誌「りぼん」を毎月購入しだした頃からです。

今でこそアニメ化され、サザエさんのような国民的マンガとして押しも押されぬ地位を築いた「ちびまる子ちゃん」。

ところが当時の「りぼん」のフレーズは「250万乙女のバイブル!」でした。

「星の瞳のシルエット」「ときめきトゥナイト」「マリンブルーの風に抱かれて」「ハンサムな彼女」

かわいい絵で描かれたキラキラした恋愛ものに人気がありました・・・。

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昨年、京都マンガミュージアムで開催された「りぼんのふろく展」の展示。

当時の女子の夢がつまった「りぼん」のかわいさが伝わるかなあ。妹の机を思い出す・・・。

 

「りぼん」は毎月買ってキラキラした恋愛ものを読んではいたのですが、なぜか自分の心の琴線には触れなかったのです・・・。

 

「りぼんで好きなマンガは?」と聞かれると「『ちびまる子ちゃん』と岡田あーみん先生の『お父さんは心配性』」と答えていました。

小学校のクラスの女子が20人やとすると、当時この2つを挙げるのは5人にも満たなかったように思います。

きれいな絵で描かれた、まだよくわからん男女の機微??よりも、まる子が夏休みの宿題をためこんで家族総出で年齢不詳な絵日記が完成したり、パピィが一人娘を心配して暴走したり変装したり流血したりする話のほうが単純に面白かったのです。

 

「ちびまる子ちゃん」はその後大ブレイクしてアニメ化されました。

ところが自分の中では精彩を失っていったような気がします。話がポエムのようになってきたというか、私のツボだった笑いが失せてきたというか、私の実家には6巻までしか「ちびまるこちゃん」はありません。

ただ、さくら先生のエッセイ「もものかんづめ」を読んだ小学校5年?6年?の頃の衝撃は今も覚えています。

文章ってこんなに柔らかく書けるんや!

文章だけでこんなに人を笑わせられるんや!

 

www.sakuraproduction.jp

 

岡田あーみん先生も「お父さんは心配性」に続いて「こいつら100%伝説」を連載されていましたが、その連載が終わる頃、私は「りぼん」を卒業しました。

あーみん先生については、中学・高校・大学とオタ度が増すほど?ファンに出会う確立が増えていったような・・・。現在でもネットを見ると根強い人気があります。

岡田あーみん - Wikipedia

 

ほんとバンコクと関係のない長い話ですみません。

結論からいうと、250万乙女のバイブル!「りぼん」の中で、異彩を放っていたこの2作品が好きだった私はこんなバンコク駐妻ブログを書くようになりました。

高級ショッピングモールのカフェに行っても、カフェのおしゃれさや素敵すぎるスィーツよりも、隣のどうみても夫婦に見えない外国人カップルの関係性のが気になる。ルーフトップバーに行っても屋上ビアガーデンを言い換えただけではないかと疑念を抱く。ハイブランドよりもそれを買い占めてるタイ人富裕層のおばちゃんのかっちりした髪型に目がいく。

 

さくら先生の卓越したエッセイは有名ですが、岡田先生も「あーみんの好き放題劇場」というエッセイマンガを描かれていて、それもめちゃ面白かったのですよ!

あの当時のお二人がもしバンコクで駐妻をされていたら、どんな面白いマンガ、エッセイをかかれたでしょうか。読んでみたい・・・。

 

さくらももこ先生のご冥福をお祈り致します。